週末の深夜、ふとスマートフォンが過去の思い出を知らせてきました。5年前の今日のSNS投稿——そこには当時熱狂していた映画シリーズの最終作を観に行った興奮が綴られていました。「○○最高!感動で号泣!○○こそ人生!!」といった大げさな言葉に、思わず苦笑い。若かったなぁ、と枕元でひとり呟きます。でも同時に、その情熱が少し羨ましくもありました。30代となった今の私は、あの頃のように何かに夢中になれているだろうか?エンタメとの向き合い方がすっかり変わった自分に気づき、静かに画面を閉じました。
若手時代と今、エンタメの捉え方の違い
20代の頃の私は、新作映画や話題のゲームが出れば真っ先に飛びつき、徹夜で鑑賞やプレイに没頭するようなタイプでした。刺激的な作品を追い求め、「とにかく面白ければOK!」と感情のままに楽しんでいた記憶があります。SNSにも惜しげなく感想を投稿し、同じ趣味の仲間たちと熱く語り合ったものです。
それが30代になった今、エンタメとの付き合い方は随分と変化しました。例えば、以前ならアクション満載のハリウッド超大作ばかり好んでいた私が、最近では登場人物の心情を丁寧に描いたヒューマンドラマに強く惹かれるようになりました。先日観た小さな映画館でのフランス映画では、若い頃なら退屈に感じていたであろう静かな物語に深く心を動かされ、自分でも驚きました。派手さはなくとも人生の機微を描く作品に共感できるようになったのは、きっと自分自身の経験が積み重なったからでしょう。
共感の対象と視点の変化
感じ方だけでなく、共感する対象にも変化があります。20代の頃、ドラマや漫画では主人公やヒーローに自分を重ねて応援していました。しかし今では、主人公を見守る脇役や親世代のキャラクターに心を寄せることが増えました。例えば、かつて夢中になった少年漫画を読み返すとき、当時は鬱陶しく思えた先生や先輩の言葉にハッとさせられるのです。「自分もすっかり教える側の年齢になったな」と苦笑しつつも、若い主人公を支える存在の大切さに気づかされました。どの視点で物語を見るかが変わったことで、同じ作品から受け取るメッセージも大きく変化しているのです。
また、エンタメとの向き合い方にも余裕が生まれました。以前は人気作品をリアルタイムで追いかけなければ気が済まなかった私も、今は話題に乗り遅れても平気になりました。むしろブームが一段落してから腰を据えて作品世界に浸る方が、自分のペースでじっくり楽しめることに気づいたのです。SNSで他人の評価に左右されず、自分なりの感じ方を大切にできるようになったのも、年齢を重ねたおかげかもしれません。
人生観の変化を映す鏡
こうして振り返ると、エンタメの嗜好や楽しみ方の変化は、そのまま自分自身の人生観の変化を映し出しているように思います。若い頃は未知の世界へ飛び込み刺激を求めていた私が、今では日常や人間関係の機微に価値を見出すようになった。これは仕事や生活においても同じで、かつては目新しいプロジェクトに飛びついていたのが、今は目の前の人との信頼作りや小さな成功を着実に積み上げることに喜びを感じるようになりました。
エンタメから得る学びも変わりました。20代の頃は作品から「勇気」や「夢」をもらっていたのに対し、30代の今は「共感」や「癒し」を求めている自分に気づきます。忙しい日々の中で、ホッと心安らぐドラマを一本観て涙を流すことが、翌日からの活力になる——そんな経験を重ねるうちに、娯楽は単なる娯楽以上の意味を持つようになりました。それは人生の伴走者であり、折々に自分の心を映す鏡でもあるのです。
もちろん、歳を重ねても変わらない大切な部分もあります。好きなものは好き、と無邪気に楽しむ気持ちは失わずにいたい。実際、久々に再会した同級生と昔ハマったアニメの話で大笑いしたとき、「根っこの部分はあの頃と一緒だな」と安心しました。エンタメに対するスタンスは変化しても、楽しさを共有できる喜びは色褪せません。
エンタメを通じて垣間見る自分の人生観の変化は、なんだか少し気恥ずかしくもあり、誇らしくもあります。若き日の情熱も、今の穏やかな充実も、どちらも自分の大切な一部です。これから先、40代50代になったとき、またエンタメの感じ方は変わっていくのでしょう。それも含めて楽しみにしながら、今日も自分なりのペースで好きな作品に触れていきたいと思います。エンタメは常に、私たちの人生に寄り添いながら、その時々の自分を映し出してくれることでしょう。