165キロがスコアボードに灯った瞬間──大谷翔平「最速」の物語

2025 年のいま振り返っても、2016 年 10 月 16 日の札幌ドームは異様な空気に包まれていました。クライマックスシリーズ第 5 戦。一塁側の観客席で私も身構えたその九回、大谷翔平が打席ではなくマウンドに現れた瞬間、場内はざわめきを超えてどよめきに変わります。カメラのシャッター音、売店スタッフの視線までが背中に突き刺さる。先頭打者・松田宣浩を空振り三振に斬った次の打球表示──165 km/h。モニターが赤く弾けるたび鳥肌が立ち、隣の友人と顔を見合わせて「えぐい…」としか声が出ませんでした。


165 km/hが生まれた舞台裏

あの試合、日本ハムは一点差でもリードすれば日本シリーズ行きが決まる大一番。栗山監督は「打席を捨ててでも最後は翔平」と腹を括り、指名打者を解除。大谷は計 15 球、そのうち 3 球が 165 km/h。スイングの風圧でミットがはじける音が遅れて届くたび、ドームの屋根が揺れたように感じました。結果は三者凡退。試合後のヒーローインタビューで本人が淡々と「気持ち良かったです」と微笑んだとき、スピードガンの数字だけでは測れないスター性も一緒に見せつけたのです。


NPB・MLBの「最速」ヒストリーと大谷の立ち位置

ここ数十年、日本球界の球速はうなぎ上りでした。2008 年のマーク・クルーン(162 km)→2010 年の由規(161 km)→2016 年の大谷(165 km)──と更新が続き、2021 年には巨人のチアゴ・ビエイラが 166 km/h を計測。日本人投手に限れば今も大谷と佐々木朗希が並ぶ 165 km/hが頂点です。

海の向こう、MLB では 100 マイル(約 161 km)超が珍しくなくなりましたが、105 マイル台=約 170 km/h の世界は、アロルディス・チャップマンなど一握りの豪腕のみ。先発投手で 164 km/h 前後を安定して投げる選手は依然として希少で、二刀流を続けながらそこへ到達する大谷の異質さが際立ちます。


速球が放つインパクトと影のリスク

野球ファンにとって球速は「音より速いニュース」のようなもの。球場の電光掲示板が 160 km/h を超えるたび、一拍置いて客席が爆発的に沸く──あの高揚感は試合の流れすら変えます。ただし、数字を追うほど肘や肩にかかる負荷は増大し、トミー・ジョン手術という言葉も身近になります。大谷自身 2018 年に右肘を手術しましたが、復帰後も球威を落とさず、むしろ二刀流の負担を逆手に取るように体全体の使い方を磨き続けました。


どうやって 165 km/h に到達したのか

  1. 体格という土台
    身長 193 cm、リーチの長さ、手のひらの大きさ──数値だけ眺めても恵まれた体は明白です。リリースポイントが前に出るぶん、バッターの体感速度は表示より速くなると言われます。
  2. フォームのしなり
    大谷のスロー映像をコマ送りすると、踏み出し脚が着地してから胸が開くまでの「間」が長い。下半身が溜め込んだエネルギーが鞭のように上半身へ伝わる設計になっており、肩と肘の可動域が大きくても無理な角度を強いられません。
  3. 年単位の課題設定
    毎オフシーズン、「平均球速+1 km」「カットボールの回転効率向上」など具体的な数字を掲げ、栄養や睡眠まで徹底管理。高校時代から 160 km/h を投げていたとはいえ、その先の 5 km/h を伸ばす作業は地味な反復の連続でした。
  4. メンタルと探究心
    「まだ上がある」と言い切れる楽観と、「壊さずに強化する」慎重さを両立できるのは大谷らしさ。投げる、打つ、走るを総合的に鍛える二刀流は、負荷の分散と動作の互換性という点で、単純な速球派とは異なる進化ルートを提供しているようにも思えます。

数字のその先へ

165 km/h を見た夜から 9 年。今や私たちは 100 マイル超の表示に慣れ始めています。それでも、**「一人の選手が限界を押し広げた」**という事実は色褪せません。スピードガンが示した 165 の赤い文字は、大谷翔平というプレーヤーの挑戦心を象徴する記号であり、野球がまだ進化をやめていない証でもあります。

次に彼がマウンドに立つとき、数字は更新されるのか。あるいはプレーオフでまた意表を突く起用法が飛び出すのか。数字を追いかける歓声と、新しい物語を待つ静寂──その両方が、これからも球場を満たし続けるでしょう。