メテオシャワー、栄光なき戦績に隠されたドラマ
1995年4月15日、1頭のサラブレッドが北海道で生まれました。その馬の名はメテオシャワー。華やかなGIタイトルとは無縁でしたが、その戦績にはある特徴がありました。通算38戦でわずか3勝しか挙げられなかった一方で、2着が実に14回にも上ったのです。勝ち切れず**“シルバーコレクター”**(銀メダル収集家)とあだ名されるほど、常にあと一歩のところで優勝を逃してきた馬でした。しかし、その粘り強さと安定感は見る者の心に残り、「いつかは勝たせてあげたい」と応援するファンもいたほどです。
メテオシャワーがデビューしたのは1998年、同世代には後に名馬と呼ばれる馬たちもいました。メテオシャワー自身は目立つ存在ではなかったかもしれません。それでも毎レース一生懸命に走り、掲示板(入着)に絡む健闘を見せ続けました。**連対率(1着か2着になる確率)は約44.7%**にも達し、その安定感は「実は優秀な成績」と評価する向きもありました。勝利こそ少なくとも、常に上位に食い込む走りは、まさに流れ星のように一瞬の輝きを放っては消える存在感でした。
2001年、メテオシャワーは中央競馬での最後のレースを走り終えます。度重なる惜敗に関係者ももどかしさを感じていたことでしょう。その後、地方競馬へと一時移籍しましたが、大きな成果を残すことなく競走馬を引退しました。「勝てない馬」――そんな烙印を押されても不思議ではない成績でした。しかしメテオシャワーの物語は、実はここからが真骨頂だったのです。
名馬ナイスネイチャとの出会いが生んだ友情
競走馬を引退したメテオシャワーは、2002年に北海道浦河町の渡辺牧場に引き取られました。そこで待っていたのが、7歳年上の先輩馬ナイスネイチャとの出会いです。ナイスネイチャは1988年生まれで、現役時代にGⅠこそ制していないものの重賞を4勝し、41戦7勝という成績を残した名馬です。その一方で3着になる回数が非常に多く、ファンから**“ブロンズコレクター”**(銅メダル収集家)と呼ばれて親しまれていました。お互いに「あと一歩届かない」悔しさを知る者同士、メテオシャワーとナイスネイチャは不思議な縁で結ばれていたのかもしれません。
渡辺牧場にはもう一頭、セントミサイルという引退馬も暮らしており、3頭はすぐに仲良しトリオになりました。落ち着いた性格で年長のナイスネイチャ、やんちゃで遊び好きなセントミサイル、そしてその二頭を慕う弟気質のメテオシャワー――まるで年長者と悪戯っ子、その間で場を和ませる弟分のような関係だったといいます。この trio(三頭)は放牧地でいつも一緒に行動し、寄り添い合って暮らしました。その微笑ましく楽しげな光景は、牧場を訪れた人々の心を温かく包み込みました。
メテオシャワーにとって、ナイスネイチャは良き兄貴分でした。競走馬として実績のあるナイスネイチャに比べれば、自分は脇役かもしれない――それでも、傍らに寄り添ってくれるメテオシャワーの存在を、ナイスネイチャも次第にかけがえのないものと感じていったのでしょう。種牡馬にも繁殖牝馬にもならず「余生」を過ごす身となったメテオシャワーでしたが、ここで生涯の相棒と呼べる存在を得たのです。
二頭の絆がファンに届けた癒やし
引退名馬たちの余生を見守ろうと、渡辺牧場には多くのファンが訪れるようになりました。ナイスネイチャは特に長寿と功績で有名だったこともあり、その姿を一目見ようと遠方から訪れるファンもいました。そうした人々の目に映るのは、いつもナイスネイチャの隣に寄り添うメテオシャワーの姿です。放牧地を仲良く歩き回り、並んで青々とした草を食むナイスネイチャとメテオシャワーの穏やかな光景は、多くのファンの心を癒やしました。競馬ファンだけでなく、「競走馬のこんな表情を初めて見た」「馬同士の友情があるなんて」と感動する人も少なくありませんでした。
メテオシャワーはいつしか「ナイスネイチャの相棒」としてファンにも認知され、陰ながら人気を博す存在になっていきます。現役時代にはスポットライトを浴びることのなかった馬が、引退後にこれほど脚光を浴びるのは異例でしょう。しかし、それだけ彼が人々の心を打つ何かを持っていたということです。ナイスネイチャが高齢ゆえ体調を崩しがちになってからは、心配するファンの間で「メテオシャワーがついていてくれるからネイチャも安心だね」といった声も聞かれました。まさに二頭は支え合うように余生を送り、その絆が見る者に安らぎと笑顔を与えていたのです。
ナイスネイチャとメテオシャワー、それぞれ「ブロンズコレクター」と「シルバーコレクター」というニックネームを持つコンビは、ある意味で名脇役同士のペアでした。主役(優勝)にはなれなくとも、懸命に走り続ける姿でファンの心に残り続けた二頭。そのツーショットは、競馬に詳しくない人にとっても「なんだか仲が良さそうで可愛い」とほほ笑ましく映ったことでしょう。競走馬=走るマシンのように思われがちですが、実は繊細な心を持ち、仲間を大切にする生き物なのだと教えてくれるエピソードでもあります。
別れと、メテオシャワーが遺したもの
年月は流れ、ナイスネイチャは35歳という前代未聞の長寿を全うしようとしていました。しかし2023年の春、ついにその時が訪れます。体調を崩し衰弱していくナイスネイチャに、メテオシャワーは寄り添い続けました。2023年5月30日のお昼頃、ナイスネイチャは弱った体をおしてメテオシャワーとともに放牧地へゆっくりと歩いて行き、青い青草の上に横たわりました。それは最期の時を迎える直前のことでした。そのまま二度と自力で立ち上がることはできず、傍らには終始メテオシャワーが寄り添って離れませんでした。やがて静かに息を引き取るその瞬間まで、メテオシャワーと牧場スタッフがナイスネイチャを見守り続け、彼は眠るように安らかに天に旅立っていったのです。
長年連れ添った相棒との別れ――残されたメテオシャワーにも、それは大きな喪失感だったに違いありません。実際、ナイスネイチャ亡き後のメテオシャワーは寂しげで元気をなくしてしまったとも伝えられました。そこで牧場の方々は、メテオシャワーが孤独を感じないよう新たな仲間(繁殖を引退した牝馬の「モアちゃん」など)と一緒に放牧する工夫を凝らしたそうです。繊細な馬のこと、言葉にこそ出せませんが、メテオシャワーも心に穴が空いた思いだったのではないでしょうか。それでも健気に日々を過ごすメテオシャワーの姿は、「今度は私たち人間が彼を支えてあげたい」と多くのファンの胸を打ちました。
ナイスネイチャの死から約1年半余りが過ぎた2025年2月12日、メテオシャワーにも静かにその時が訪れました。29歳という、高齢馬としては大往生と言える年齢でした。大好きな相棒を失ってからもよく頑張り、生き抜いてくれたと思います。最期は大きな苦しみもなく穏やかに旅立ったとの報せに、関係者やファンはせめてもの救いを感じました。「メテ、お疲れ様。よくがんばったね」――そんな声が各地から聞こえてきたのも印象的でした。今頃は天国でナイスネイチャやセントミサイルと再会し、また一緒に仲良く青草を食べているのかもしれません。そう思うと、悲しみの中にも温かな気持ちがこみ上げてきます。
まとめ:メテオシャワーが教えてくれたこと
メテオシャワーの生涯は、私たちに大切な学びを残してくれました。競馬の世界では一等になることが称賛されがちですが、人生において勝つことだけが全てではないということを、彼の歩みは物語っています。幾度もあと一歩で勝利を逃しながら懸命に走り続けた姿、そして引退後は仲間を支え、人々に癒やしを与えた姿――そのどれもが胸を打つものでした。
勝てなくても懸命に努力すること、誰かと支え合い絆を結ぶことの尊さを、メテオシャワーはその身をもって示してくれました。競走馬としては脇役だったかもしれません。しかし、彼は違う形でヒーローになったのです。メテオシャワーがファンにもたらした感動と優しさは、これからも語り継がれていくでしょう。そして私たちもまた、彼の物語から勇気と優しさを受け取り、自分の人生において大切な何かに気づくことができるのではないでしょうか。